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日志


8月8日

踏み台

 
 最近は、雨が降らず、田んぼの水入れに追われています。
 
 川の水も少なく、夜は2時間おきにポンプの調子を見に行きます。
 
 
  そんなことをしていると、いつの間にかこのブログも1ケ月間休んでしまいました。
  すぐに、日にちが過ぎるようです。
 
 
 そんな中で、今、我が家では山田錦の穂肥の真っ最中です・・・。
 
 と言いながら、一昨年までは年老いた父が毎日、ふっていました。
 
 
  ところが、昨年からはできなくなり、私が散布機でふっています。
 
 
 
  軽トラに肥料を積み、軽トラの上で父が散布機に肥料を入れ、私がふります。
 
 
 
  「この田んぼは2反やから、20kg・・・・」といったように互いに会話しながらいれます。
 
 
 
  そのとき、気づいたものがあります。
 
 
  それは踏み台でした。
 
 
  そう、今では、父は軽トラの荷台に上がるのに踏み台がいるようにまでなっていたのです。
 
 
  両親が年とともにできなくなる中で、田んぼの管理が本当に大変になってきました・・・。
  どうすることが、一番良いのか。
 
  踏み台を見たとき、ふとそんなことを思ってしまいました。
 
4月7日

突然のアクシデント。

 
この土日、いろいろなことがありました。
(毎日、いろいろなことの連続ですが・・・)
 
 
 
土曜日、ムラでお葬式がありました。
 
私と嫁さんは、育苗の準備でJAへ2㌧車で覆土を取りに行く、父と母はムラのお葬式の準備に行く・・・。
両方が朝、9時30分の約束でした。
 
 
ところが、2㌧車のバッテリーがあがり、動かない・・・。
 
 
 
アクシデントはそこから起きました。
 
 
 
仕方ないので、父が乗ってた軽トラを借りて、軽トラ2台で行くことにしました。
そして、母は慣れない乗用車で行こうとバックしているとき、後ろにいた父を引いた・・・。
 
 
父は大きな声と共に倒れ込み、足を抱えて「痛い・・・」。
すぐに母と病院へ。
 
 
 
 
 
 
嫁さんは、息子と土取に・・・。
 
そして、声を聞いて駆けつけた隣のおばさんが母の変わりに、私とお葬式の準備に・・・。
 
 
 
 
私の家の農作業は、常に家族みんなが、段取りをいつの間にか「あ・うん」の呼吸の中でおこなわれています。
 
それは、季節や作物の生長に自然と合わさって、それをひとつの基準として各自が動いています・・・。
 
(ただ、そのおもいが強すぎると衝突しますが・・・。)
 
 
 
幸い、父は打撲程度で済みましたが、骨折でもしていたら、ことしの春の作業はできなくなります。
今、一人でも欠けると、たちまちみんなが困ってしまいます。
 
 
農業で怖いのは、ケガです。
 
 
農作業の危険度は高く、農作業中、少しの油断でケガをします。
ところが、そのケガで手足をなくしたりすると、次は農業経営ができなくなります。
 
 
5年前の4月12日・・・。
 
私も、育苗箱を倉庫の二階から降ろそうとして転落してちょうど5年が経ちました。
幸い、1ヶ月あまりの入院で済みましたが、今でも右側の腰が痛みます。
 
でも、あのとき、下半身不随になっていたら、我が家の農業はなくなっていたかもしれません・・・。
 
 
 
 
これから農繁期。
 
ケガに注意するとともに、まさかのときに誰かに頼める経営体制も考えておかなければ・・・。
 
と思います。
 
 
 
 
 
 
 
3月24日

道つくりとKさん

 
彼岸になると、私達の地域では「彼岸の道つくり」といって、集落内の道路の補修や溝の掃除があります。
 
全戸からでて、一日がかりです。
 
 
昨年から、その道作りにカメラで写真を撮る係りができました。
 
そう、「農地・水・環境」の申請書につける写真です・・・。
 
 
 
 
 
 道つくりも終わると、集落の公民館でみんなで食事をします。
 
普段話すことのない人といろいろな会話が弾みます。
 
 
 Kさんは、定年退職後、地域で問題になっているアライグマをボランティアで捕獲されている方です。
すでにかなりの頭数を捕獲されています。
 
 そのKさんに、
 
「いつもお世話になってありがとうございます。おかげで集落のみんなが喜ばれています」
と話しかけると、
 
 
Kさんは、にこりと笑いながら、
「そう言ってもらえると、嬉しいわ。でも、隣の集落のぶどう園においていたオリは、もうやめようと思っている」
と言われました・・・。
 
 
 
 その理由を尋ねると、
 
「私は、みんなのためにと思って捕獲しているんや。でも、隣の集落の人は、お金をもらってしていると思われているようや・・・」
 
「私は、一滴のガソリン代ももらっていないのに、そういうように思われるのはつらいわ・・・・」
 
 
 
  Kさんは、とてもまじめで優しい人です。
 
  これまでから、つねに地域のために取り組まれています。
 
  そのことを、みんなで認め、感謝することが大切だと思います。
 
 
 
  捕獲することで、お金が出る。
 それによって、捕獲量は増え、みんなが助かります。
 
  でも、なんでもお金になると・・・・
 
 
  こういった考えの方には、イヤな思いをさせてしまうこともあるようです・・・。
 
 
  
  みんながやる気になる・・・。
 
  みんなと話し合え、みんなから見えることが大切ですね。
 
 
  お金はあれば嬉しいけれど、それだけでない人も地域にはたくさんおられます・・・。
 
 
3月3日

春の来訪者

いつの間にか3月・・・。
 
先週は、東京や岡山と少し県外が多くなりました。
今日は久しぶりに家のことができ、種籾の調整(ぼう取り)と剪定を少ししました。
 
 
納屋の中で農作業をしていると来訪者が2名・・・。
 
 
一人は、新しく施肥田植機を買うことにしたSおじさん。
 
「施肥量はどれぐらいにしてるんや?」とわざわざ、聞きに来られました。
そして、「若い者に乗ってもらえることを楽しみにしてる・・・」と言われてかえられました。
 
 
もう一人は、隣のおばあちゃん。
 
納屋の中で種籾をさわっているので、気になられたようで、
「もう種まきの準備をするんか?」と、これまた、聞きに来られました。
「今年は、いつから苗代の準備を始めたらいいのだろう?」と心配されているようです。
 
 
 
ちまたでは、農業に関心がなくなったのでは?と言われますが、そんなことはありません。
 
先週の土曜日に隣の市で開かれた集落営農の研修会も、会場一杯でした。
事業の説明会ではなく、集落営農に取り組まれている人の発表会でした・・・。
 
 
今は、本当に関心のあることに「関心がある」・・・のでしょうね。
 
 
温暖化の影響もあり、ミカンを栽培し始めている隣の集落のFさん。
 
私が出張中にもかかわらず、寒い中をバイクで来られていました。
今年とれたりっぱなミカンが手提げの袋一杯に入っていました。
そして、その中に貝殻虫の葉が同封されていました。
手紙には「どうすれば防ぐことができるのでしょうか?・・・」
 
早速、電話をしました・・・。
 
 
 
私はこうやってわざわざ家まで来られることがありがたいことだといつも感謝しています。
 
 
恥ずかしい話ですが、私が普及員になった30年前の我が家の稲はいつも、全面倒伏。
米の収穫は、12月後半まで・・・。
米の検査では、いつも最下位・・・。
 
 
原因はよくわかっていました。
 
 
5ha規模の農家であったため、田植えが遅れる。
遅れると、次は施肥が遅れる。
施肥が遅れると、倒伏する。
 
 
倒伏すると田んぼが乾かない。
乾かないと手刈りで収穫が遅れる。
そして、品質が悪くなる・・・。
 
いつもそれの繰り返しでした。
 
 
 
それがいつから変わったか・・・。
 
 
それは、昭和50年代の終わり。
施肥田植機が出てきたときから変わりました。
 
 
田植えをしながら、肥料が入る。
 
とても画期的なことでした。
 
 
 
何が画期的か・・・。
 
 
実は、田植えは父はできませんでした。
 
田植え機は、私しか使えません。(今もそうですが・・・)
つまり、施肥管理は私でできるようになりました。
(それまでは、常に父が肥料を散布していました。)
 
 
それからです。
 
 
 
 
水稲が倒れなくなり、品質が良くなり、いつも検査では集落でトップになりました・・・。
 
 
それを見て、頑固な父が私の言うことを少しは耳を傾けるようになりました。
 
 
 
 
そして、いつの間にか、今では地域の人が聞きに来られるようになりました・・・。
 
 
 
 
私も教えていただくことがたくさんあります。
 
 
教えたり、教えられたり・・・・。
 
 
そして、話が弾む。
 
 
一昨年、私の住んでいる町から講演会の講師としての依頼文書が事務所に届いたとき、
上司の方が「住んでいる町でお話をする。これは、すばらしいことですね」と言われたことがありました・・・・。
 
 
 
今日は久しぶりに、「地域の中で生きている」ということを感じた日でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1月15日

とんど

 
今日は、「とんど」
 
お正月のしめ飾りを、竹などで組んだ大きな輪の中で燃やします。
 
 
 
父や母が朝から準備をして、隣近所や子供達と夕方に燃やす火は、とても暖かく、心まで温かくなります。
 
 
特に書き初めが高く上がると、みんなの声も高くなり、
「とんど」の夜に食べることになっている「コンニャクと味噌の料理」(でんえんこんにゃく)は昔からの懐かしい味です。
 
 
 
でも、「とんど」をする場所が変わってきました・・・。
 
 
私達の地域では、地域全体ではなく、家内というか地域内の親戚で行います。
 
 
 
地域では、戸数も減ってきているし、田んぼも荒れてきました。
 
 
昔、いつもしていた田んぼは、すでに山の中です。
 
 
最近は、もう少し下の田んぼで行っています。
 
今日の田んぼは、朝から草刈り機で刈って、場所を設けました・・・。
 
 
 
最初は、そんな寂しさの中ではじめた「とんど」でしたが、隣の家や家族全員が出てくると、にぎやかになります。
 
「パーン」という大きな音が響く中で、いつかみんなで火にあたりながら、いろいろな話がでてきました。
 
 
火が消え、帰るとき、
「今年は、休日でみんなが集まれてよかった・・・」
と母がつぶやきました。
 
 
ふと、そんな母の言葉に、お年寄りの昔からの行事に対する思いを感じました・・・。
 
 
次の世代につなげたい行事です。
9月25日

賽銭泥棒・・・

 今年は、地元のお宮さん(大歳神社)のお世話をさせていただいています。
 
 といっても、たまの掃除とお参りいただく方のお世話です。
 
 この9月12日は、「コウゾ」といって、ムラの方々がお参りされる日でした。
 
 前の日曜日の9月9日に、4戸から二人ずつ出ていただいて、神社の周りの木や竹の伐採。
 また、庭の草刈りや草引きなど、汗だくでしました。
 
 
  集落には、観音さん、お薬師さん、阿弥陀さん、愛宕さん、金比羅さん、弁天さん、そして大歳神社と7つのおまつりする場所があります。
 
  みんな、当番にあたると、それこそ大変です。
 
  草を生やしていたり、管理が悪いと、みんなが集まる集会の時に指導を受けます・・・。
 
  今回も、 9月9日までにおおかたの草引きは済ませていました。
 
 
   よく、お寺に行くと、きれいな境内を見ますが、あれは本当は大変な手が入っているということをこの当番で知ります。
 
  お寺の境内がきれいなのは、草が生えないのでなく、常に掃除をされているからです・・・。
  少し、手を抜くと神社の庭は草だらけ。
 
  それどころか、竹があちこちから生えてきます・・・。
 
 
   9月12日の「コウゾ」を終え、昨日、神社に行くと・・・・賽銭がなくなっていました。
   金比羅さんのようなりっぱな建物がない場所の賽銭も盗られているとか・・・・。
 
   集落の人々が、次の世代に残そうと大切にしている「心」を踏みにじられる思いです。
 
   毎回、参るたびに10円を入れ、4回参ったから40円入っている・・・と楽しみにしていたお婆ちゃん・・・。
   大変な時代になったものです。
 
 
 
   集落は、農地・水・環境向上対策だけではなく、昔から脈々と受け継がれてきていることがたくさんあります。
 
   お金だけでないものを、大切にしたいものですね。
 
   
4月29日

護穂杖

「それでは、多数決をとります・・・」
 
 
これは、集落の全戸集会の一こまです。
 
 
集会の発端は、お嫁さんをもらったとき、後日、集落の人を招いてお嫁さんを披露することに対する若い女性の人達からの意見がきっかけでした。
 
 
そして、お葬式のときの集落内の手伝いの人への食事のあり方・・・。
 
 
最後には、「護穂杖」といった、観音堂や阿弥陀堂のおまつりへと広がっていきました。
 
護穂杖(ごうづえ)は、昔から、この集落では苗代にお札をはさんだハゼの木を立て、豊作をお祈りしてきました・・。
 
 
 
 
最初の披露の改革について、若い女性からは、「なくして欲しい」、「嫁いできたら、この集落の決まりやからと言われ、仕方なく出た・・・」。
 
 
一方、年輩者からは、「披露がなくなると、若い人と出会ったり、話したりすることがなくなる・・・」、「出逢っても、どこの人かわからなくなる」。
 
といった意見がでました。
 
 
 
お葬式の改革については、「2日間、夫婦で手伝いに出れなくなってきた」、「お弁当にして、料理づくりをなくすと、各戸一人だけになる」。
 
 
護穂杖については、「カブウチ(家毎)では、若い人がいなくなってきて、いまのようなやり方では、できない家がでてきた・・・」。
「4戸ずつ、順番に回るようにして欲しい・・・」。
 
 
 
 
若い人も、年輩者も公民館に集まり、意見交換がされ、最後は投票になりました・・・。
 
結果は、どうあれ、共通したものを感じました。
 
 
 
それは、「なんとか、これまでのやり方を続けて欲しい」。
 
しかし、「今はできても、これから出来なくなる・・・」。
 
「若い人がしないだろう・・」。
 
 
 
農業が変わっていく中で、農村も大きく変わってきています。
 
 
若い人、年輩者、男性、女性・・・が一堂に地域のことについて話し合う。
こういった話し合いの場が大切だと思いました。
 
 
この集落では、今年から農地・水・環境対策に取り組まれます。
地域に対する思いがさらに深まることを願います・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4月18日

100円バス

「今日、おばちゃん。100円バスに乗って農協へ行ってたよ・・・」
 
 
我が家の夕食時、妻が私に言いました。
 
100円バスとは、市が走らせている地域循環バスです。
 
親戚ではありませんが、いつも気にしています・・・。
 
 
 
 
田舎では、隣近所のことがよく見え、そのことが家庭で話題になることがあります。
 
 
また、そういった干渉や視線が嫌であったり、近所づきあいがイヤで、田舎を好きになれない人が少なくありません。
 
 
 
裏のおばちゃんは、一人暮らしです。
 
昔は、我が家の農作業をよく手伝っていただきました。
 
また、私も小さいときは、よくかわいがってもらいました。
 
 
 
そのおばちゃんも今では、80歳も半ばです。
 
 
おばちゃんの話し相手は、いつも家にいる私の妻です。
 
 
 
「雨がよく降るので、外へ出なかったら、お金がなくなってしもた・・・。お金をおろしにいかないと・・。」
 
「じゃ、農協まで送りましょうか?」
 
「いや、今日は100円バスが通る日だから、それに乗って農協へおろしに行くわ」
 
 
 
そういって、近くのバス停まで歩いて行かれたようです。
 
 
 
今は、車社会です。
 
週に3日通る100円バスは、いつもガラガラです。
 
地元の自治体にとってその負担は少なくないと思います。
 
きっと、財政が苦しくなると、一番先にカットされる部分かも知れません。
 
 
 
 
でも、おばちゃんにとれば、気兼ねなく唯一、農協まで行ける手段です。
 
 
 
お金をおろしに行かれた農協も、私の町内にはつい最近まで4支店ありました。
 
今は、合併で町の中心部の1支店だけ・・・。
 
 
 
人口が減り、高齢化する中で、ますます、こういった傾向は強くなっていきます。
そして、田んぼも出来なくなってきている家も出てきています・・・。
 
 
若い人から見ると、わずらわしい田舎のつき合い。
また、採算のとれない条件の悪い田んぼ。
 
 
でも、そういったつき合いがあったおかげで、今でも、裏のおばちゃんといつまでもつき合いが出来ています。
また、田んぼも、なんとか貸し借りができています。
 
 
車やネット社会が進み、公共サービスが集約化されていく農村。
 
その中で、ついていけない高齢者の方々。
 
 
その人達の心のよりどころは、やはり、集落であり隣近所です。
 
 
集落は、昔から自然に出来上がってきたもの・・・です。
 
 
 
 
昨年、国から長期の農家派遣研修に来られた方が、普及員さんのムラづくり活動や農山加工の取り組みを見られて、その重要性を「施策の中で削っていい部分と、削ってはいけない部分がある・・・」と報告書にまとめられていたと聞きました。
 
 
 
 
時代が進んでいく中で、農村・農業を守っていくシステムづくりをどうするか。
 
 
 
今日は、なにげない妻の一言から、農村から情報を発信できるセクションの必要性・・・を感じた日でした・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3月26日

道普請

今日は、彼岸の「道普請」。
 
「道普請?」
 
正確には、集落の人みんながでて、集落内の道路や側溝、その他の公共物の整備や手入れをします。
 
毎年、春と秋のお彼岸にします。
 
でも、今年は今日でした。
 
 
 
昔は農道も砂利道で、まる1日かかって、あちこちの道路のくぼんだところに砕石を入れていました。
そして、落ち葉で埋まった側溝をさらえていました。
 
でも、今は道路も多くが舗装され、砂利をいれるところはそんなにありません。
 
「道普請」は、ほぼ午前中で終わりました。
 
 
 
午後からは、「観音堂」の周囲の陰伐でした。
 
みんなで観音堂に倒れかかっている竹や木を切り、燃やします。
 
特に最近は、竹がいろいろなところで生えて、すぐに竹林になってしまいます。
 
 
「最近の若者は、木の切り方も知らない・・・」といいながら、お年寄りが切り方を教えていました・・・。
 
若者にとれば、一つの修行の場でもあります。(笑)
 
 
 
そんな中で、今日、感じたことは二つ・・・。
 
一つは、若い人達の多くが集落内の「観音堂」を知らなかったこと・・・。
 
 
作業の休憩中。
 
「観音さんって、どこにあるの?」
 
年輩者が、「○○さんの家の上や」
 
 
「○○さんの家はどこ?」(これも驚き!)
 
 
 
そういったたどたどしい会話の中で、機転を効かした年輩者が、
 
「餅まきするところや」
 
 
この一言で、若者達にすぐに伝わりました・・・。
 
 
子供のとき。
 
それは、本当に短い期間です。
 
でも、その幼いときの一瞬である「餅ひらい」という思いでは、大きくなってもいつもでも心の中で残っているのです。
 
 
 
もう一つは、半年ぶりに出会う人が多いことです・・・。
 
「久しぶり」
 
「今、仕事、どうや・・・」
 
久しぶりに出会い、一緒に仕事をする中で、心が通じています。
 
 
19年度から、私達の集落も「農地・水・環境保全対策」に取り組む予定です。
 
5年間、お金をもらう・・・と言うことではなく、その5年間を通じて、子供からお年寄りまでが地域に対する思いと、コミュニティーが高まるといいなと思います。
 
 
明日は、すごく楽しみです・・。
 
3月22日

ある休日

「ひさしぶりやな・・・」
「やっと、田んぼができる時間ができたんか・・・」
 
今日、畦塗機で苗代の畦塗りをしていたとき、上の田んぼで、山際の下草を刈られている老夫婦が私達にかけられた声でした。
 
いつも私達が仕事をしていると気軽に声をかけてくださいます・・・。
 
上の田んぼをのぞいてみると、その田の山際はきれいに刈られていました。
一年でも刈るのをやめると、草木が大きくなり、作物の陰になるだけでなく、下草刈りや陰伐作業が大変になります。
 
だから、毎年、まるで庭のようにきれいにされています。
しかし、後継者は・・・。
 
 
私達も、夕方から田んぼの土手を燃やしました。
今、燃やしておかないと、夏の草刈りのじゃまになります・・・。
 
 消防署に届けを出し、子供も含め家族総出で・・・。
 
 
ほとんど燃やし終えたとき、妻が遠くを指さし、みんなに言いました。
 
「見て、すごくきれい!」
 
そう、小高い田んぼから眺める山並みの向こうにきれいな夕日が沈んでいました。
 
普段では感じない美しさでした。
 
夜は、家族全員で夕食・・・。
 
 
いつまで守っていけるかわからないけれど、この風景を大切にしていきたいものです・・・。
7月2日

茅葺きの屋根

今、家の屋根の修理をしています。
 
 
茅葺きの屋根ではなく、茅葺きの下の瓦の部分です。
 
 
 
100年以上たっているので、瓦がづれ、雨漏りがひどく、仕方なく修理をしています。
 
 
家内と二人で屋根の瓦を降ろし、大工さんに垂木のやり換えをしていただいています。
 
 
 
 
 
その作業の中で、気が付いたこと・・・。
 
 
 
 
 
茅葺きの屋根と、下の部分は別構造になっています。
 
 
 
 
瓦の部分は、瓦で。
 
その他の天井部分は多くの土で固められています。
 
 
 
そうした耐火部分の上に、茅葺きの屋根が載っています。
 
 
安全の二階建て方式です。
 
 
 
 
土も、大工さんの話では、わらと土を練って、長い時間を置き、充分腐らせたものを天井にあげ、岩のように硬くしているとのことです。
 
 
また、その土を支えているのは、板ではなく、竹です。
 
 
その竹も、虫が入らないすす竹です。
 
 
すす竹の上に土が置かれています。
 
 
 
 
 
 
昔は、雷がよく茅葺き屋根に落ちていたそうです。
 
 
 
しかし、屋根は燃えても、家は燃えなかった家があったそうです。
 
 
そんなことが、我が家にもされていたのです。
 
 
 
 
 
多くの土を天井部分に上げるのは、大変な作業だったと思います。
 
 
でも、そのおかげで、今まで暮らせてきているのです。
 
 
 
 
祖父が父に、
 
「この家は一度燃えたので、たくさんの土が上げてある」
 
といっていたそうです。
 
 
 
 
 
見えないところで、守られていたのです。
 
 
 
 
 
 
目前のことや、形にばかりとらわれている、今の時代の流れの中で、
 
 
昔の人は、しっかりと先を見られていたのです。
 
 
 
祖先の流れが今も生きていることに驚きました・・・・。
 
 
 
 
「長い目」
 
 
 
天井板と天井板の間には、天井板が曲がらないよう
「こおろぎ」
といった竹の杭で支えられています。
 
今は、天井板の多くは、合板で簡単に済ませます。
 
 
大工さんは、木目がきれいな合板を私に見せ、
 
「合板は、今が一番きれいなときです。これから悪くなります」
 
また、まだ削られていない天然の板を見せ、
 
「今は見にくいですが、これから木目と艶が出てきます。年数がたつにつれて、深みが増します・・・・」
 
 
 
その言葉に、今の農業の姿や考え方が重なりました。
 
表面だけがきれいな合板にはなりたくないな・・・。
 
 
 
費用、たくさんかかります・・・・。
 
6月11日

我が家の食育

ハンバーグ、天ぷら、いなり寿司、カレー・・・。
 
さて、これは何でしょうか?
 
 
実は、我が家の長女(やっぴー:高三)が、田植え真っ最中の土日の夜に作ったくれていた献立です。
 
昨年、同じ頃、夜にアジフライが食卓に並んでいて、とてもおいしくて、尋ねたら、長女が料理をしていてくれたことを初めて知りました。
 
それも、毎土曜日に来る移動販売車の魚屋さんで、自分の小遣いを出して・・・。
 
 
 
話は、変わりますが、私の家内は水稲+果樹+酪農の専業農家から嫁いできました。
 
嫁に来たときから、家事をこなしています。
 
なくなった祖母がいつも、家内の料理を食べると「本当においしい」と誉めていました。
 
 
 
同じことの繰り返しです・・・。
 
母から、娘へ・・・と伝わっています。
 
 
 
家内は「明日の夜は、お父さんと田植えしているから遅くなる。何か考えて、作っておいてね」
と、事前に一声かけているようです。
 
 
すると、悩みながら、わからないと家内に聞いているようです。
 
 
 
 
昨年、作ったくれたアジフライは、実は魚屋さんから料理法を聞いたようです。
 
 
きっと、入試を控え、家で勉強していると、移動販売車の魚屋さんの音楽が聞こえてきて、今の自分で出来ることとして、自分の小遣いを持って、魚を買いに行ったことでしょう・・・。
 
勇気がいったでしょうね。
 
 
家族が働いている姿、その一方で、自分が出来ること・・・。
 
 
 
 
今の経験が、きっとこれから大きなプラスになると思います。
 
人の苦労やありがたさ。
 
辛抱。
 
いろいろなことが、「食事を作る」ということから、子供なりに学んでいると思います。
 
 
「人は、経験から生まれる」
 
 
家内の実家は、家内が私と結婚してから酪農をやめられました。
 
理由は、夜の炊事、洗濯、掃除などの家事をする人がいなくなったから・・・とか。
 
自分で言うのもおかしいですが、しっかりしていて、結婚時から何でも出来る、評判のよい嫁さんです。
 
きっと、親のしつけがしっかりと出来ているのでしょうね・・・。
 
亡くなった祖母が、いつも誉めていたことが思い出されます・・・。
 
いろいろな勉強も大切ですが、人としての身につけることや、常識が大切ですね。
 
 
 
5月5日

育てる楽しさ

今日は、親父と、私と、長男の3人で3台のトラクタで耕起。
母は草燃やし。
高校生の長女は、苗代で飛んだ被覆の土押さえと食事係。
 
少し風はきつかったけれど、晴天でした。
 
夕方、家に帰ると、長女が晩ご飯を作って私達の帰りを待ってくれていました。
 
そう、農繁期になると長女は、家の担当としてがんばります・・・。
 
(以前、おいしいアジフライが夕食に出ました。どうしたの?と聞くと、高校生の長女が移動販売車の魚屋さんで買って、料理していたんです)
 
暖かくなりました。
 
山の緑も一段と冴えてきました。
 
カエルも、ヘビも、トカゲも出てきています。
 
今日は、父がいつになく嬉しそうです。
 
その原因は、うちの長男坊がトラクタで田んぼを鋤いているからです。
 
父は、典型的な昭和一桁生まれです。
 
朝から夜まで農業です。
 
父の唯一の楽しみは、まさに農業です。
 
だから、孫が農業を手伝うと朝から笑顔です。
 
案外、農業のいいところは、こうした家族総出で仕事をすることかも知れませんね。
 
昔、ある集落で集落営農について話し合っていたとき、お年寄りの方が「わしらの小さいときは、学校から帰ったら、両親は必ず田んぼにいた。それが、普通やった・・・」と懐かしがられていました。
 
それが、いつしか、田んぼから人が消え、子供が学校から帰ると、「塾」と「勉強」が待っているのでしょうか?
 
話はかなり脱線しましたが、今日、田んぼで思ったことがあります。
 
「育てるって、気持ちがいい」
 
ということです。
 
こんな気候のいいときに、田んぼのあぜをきれいにして、そして、田んぼをきれいに耕起すると、大きな自然の公園ができました。
 
隣のおじさんが「朝、草を刈って一服するときが一番、気持ちがいい」
と昔、よく言われていました。
 
私もそんな年代になってきたのでしょうか?
 
いえいえ、そうではなく、心が落ち着きます。
 
ごみごみした都会や、人を相手に気を使わなくてすむような感じです・・・。
 
静かで、よく見るとあぜ際にかわいい花が咲いていたり、きれいな水が流れている中にメダカがいたり。
 
多分、農業という仕事は、人間本来の仕事なのでしょうね。
 
自然相手だから大変だけれど、自然の中で、育てる仕事はいいですね。
 
そして、親から子、子から孫へと引き継いでいくこと。
 
今日は二つの育てる楽しさとしあわせを感じました。
 
以外と、しあわせはこんな小さなところにあるのかも知れませんね。
 
「次の世代へ」
 
最近、消えつつある、昔から引き継がれてきた農業、農村のよさをなんとか次の世代にも引き継いでいきたいと思います。
 
4月1日

初春の田んぼ

春ともなると、農家は慌ただしくなってきますね。
 
この冬は、ほとんど毎土日は、他へお話に行くことが多かったので、家の田んぼの耕起が全くできていません
そして、3月からは雨が多いから、ますますできません。
 
今日は、池の堤の草刈りと田んぼの土手を燃やしました。
土手を燃やしていると、バケツの中に越冬していたバッタが飛び込んできました。
きっと、越冬を邪魔されたのでしょうね・・・。
 
 
堤は冬の間に刈り、きれいにしておかないと木が生えます。
一度木が生えると、堤に根が入り、根が腐ると水が漏ります。
 
私の家は、田んぼがたくさんあるので、池の数だけでも50以上あります。
もう、管理もできなくなってきました・・・。
 
それから、家族で田んぼのあぜを燃やしました。
 
田んぼのあぜを燃やすと、とてもきれいになります。
夏の間に刈った草も燃やします。
この草ががたくさん残っていると、ミミズがわきます。
ミミズがわくと、モグラが出てきます。
モグラがでてくると、畦に穴が空いて、水が漏ります。
 
 
冬の間に草を刈り、燃やすと、とてもきれいになります。
これらのことを、少しずつしていきます。
 
昔、米代の高かった頃は、これも大切な作業でした。
 
そして、たんぼの溝をさらえ、田んぼに水が溜まらないようにして乾かしておくと、田んぼが乾き、鋤きやすくなります。
 
農家の方は、毎年、このことを繰り返しながら、水田や池を守り、農業を営んでこられました。
 
それだけに、田んぼに対する思い入れも大きいのでしょうね。
 
しかし、今では地域のお掃除屋さんになってきましたね。
 
今日もそうですが、あちらこちらに空き缶や空き瓶がたくさん放置されています。
また、しばらく刈らないと、山際にはたくさんの竹が生え、手がつけられなくなっています。
 
圃場整備もできていない山間棚田を維持するのは大変ですね。
 
私の集落から変えていかないといけないのですが、それができない・・・。
その理由は、・・・・・。
 
私が集落営農を進める中で、全員アンケートを取ったり、世代別座談会をする理由は、実は、身近にいい教材があるから・・・。
 
それと、大規模農家が地域の中でいじめられる・・・その理由もよくわかります。
「集落」といいながら、数の理論では負け、集落の中の声の大きな人に従おうとする集落・・・。
 
いろいろなことを身近に学び、そうならないように仕事で活かしていく。
そのことが、私にできる唯一のことかもしれません。
 
3月に行った岩手県花巻市の宮沢賢治記念館
 
宮沢賢治先生のような生き方はできませんが、常に片足は農業という「地」につけながら生きていきたいと思います。
 
「雨ニモマケズ・・・いのちいっぱい生きる」
 
いろいろなことに負けずに、生きていかないと・・・。
 
1日の「心の日めくり」
 
 人の値打ちは
   地位や肩書きで
 決まるのではなく
  心の輝きで
    きまるんだよ
     (小薮実英)
 
 
 
 
12月31日

感謝

今日は、納屋の片づけと4台目のコンバインの土落とし。夕方は集落にある冷泉へ湯を汲みに行きました。私の集落の地名でもあるように、私の集落は昔から湯が出ています。しかし、今は冷泉です。
場所が不便で、最近は誰も汲みに行きません。
集落では、その井戸があることも知らない若者がいるのに驚きます。
夕方、井戸まで行くと、どこが井戸かわかりません。
草が生い茂った中で、私が作ったふたの中に井戸が隠れていました。
そして、ポンプで遠くにある軽トラックのポリ缶へ移します。
この井戸からお風呂一杯になるまで汲むのは本当に大変です。
でも、普段、温泉に行かない父への年に一度のささやかなプレゼントです。
湯で沸かした風呂に入ると、肌がツルツルになります。
父はいつもこのお風呂に入ると、昔の井戸の話をしてくれます。
この土地に生まれ育った父の自慢の湯です。
 
今年も、今日で終わりです。
今年もいろいろなことがありました。
年々、大きなことや驚くことが増えてきています。
 
だんだんと、生きていくから、生かされている・・・と感じるようになってきました。
 
これからも、常に自分を持ち、自分らしく生きていきたいと思います
今年一年、いろいろな人に支えられ、励まされ、育てられ、素晴らしい一年としておくることができました。まず、家族みんなが健康で暮らせたこと。そして、仕事がひとまわり大きくできたこと。家の大きな問題が無事、解決したこと。
いい一年でした。
来年もがんばりたいと思います。
 
「感謝」
 
12月10日

若者会

今日は、コンバインの土落とし。
家にはコンバインが7台あります。
今年使ったのは5台です。
条件が悪い圃場が多いので、グレンタンクは3条刈りと2条刈りの2台。そして、3条刈りの袋取りが2台。2条刈りの袋取りが3台。
なぜ、こんなに多いのか・・・。
理由は、刈り取りを早くするためと、湿田が多く重いコンバインは使えないこと(水がないからいつも溜めておかないといけない)、それと、私が勤めている間に刈ってもらえる。それぞれの田んぼにあらかじめ入れておける。それと、私がいないときにコンバインが詰まったり痛んだときにはすぐに他のコンバインへ切り替える・・・ためです。
 
朝早く起きて、トラックで田んぼへ運びます。詰まったり痛んでいる機械があると、夜に修理します。
職場では、仕事が遅くなるので、深夜の修理は大変です。だから、台数が多くなります。
それと、保守点検が大切です。ほとんどは、私が整備します。だから、農機具やさんに家まで来てもらうことはほとんどありません。痛んだときは、部品をもらいに行きます。
 
こんなこと、職場の人はまったく知らないだろうなあ・・・。
 
最近は、土、日にもいろいろと依頼が多くあるので、まだ2台しか土落としができていません。
あと3台の土落としが終わって、それからやっと整備に入ります。
 
そんなとき、同じ集落の友人ががやってきました。
「2月に若者ばかりで旅行しようか・・・」
 
最近、集落の若者が集まることもめっきり少なくなってきている中で、嬉しいお誘いでした。
誘っていただけるうちが花でしょうか?2月にこのブロムで旅行の報告ができるといいなあ。
 
 
12月4日

茅葺きの我が家

我が家は、六甲山の北にあります。
晩秋の今は、山が紅葉から落葉へと変わり、すごく美しい風景をかもし出しています。
昨日訪れた東京のジャーナリストの女性が、「山が大変美しく、その中に茅葺きの大きな家がポツンとあり素晴らしいですね。後ろの柿とマッチしてますね。うらやましいです。」と言われました。
そう言えば、2週間前にも、大阪の方が写真を撮りに来られました。
でも、見る方と、住んでいる方は違うんですよ・・・。
昨春、茅葺き屋根全体を葺き替えました。
400束だったかなあ・・・(記憶は確かではないけど)、両親が冬の間に刈った茅(ススキ)と、購入した茅で葺きました。
地方紙にも掲載されました。
その記事の中で父が「この地方は、土が粘質で珪酸分が多く、硬い茅が採れる。それで、昔からこの地域は茅で葺いた家が多かった」と言っていました。
そう言われて、あ!と思いました。
私達の地域は、酒米「山田錦」の産地なんです。
いい山田錦は、心白(米の真ん中に空気の穴があり、白く見える部分で、酵母菌が入りやすい)が大きい。大きい心白は、珪酸と関係していることは試験成績で報告されていました。
父は、何も勉強していないけど、しっかりと風土をつかんでいたのです。
しかし、茅を葺く人も高齢化しているし、維持するのは大変ですね。
周囲の家は、快適なのに、古い我が家は寒風が部屋の中を通っていきます。
今冬は、茅の下の瓦を修理しないと・・・。