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9月2日 ある、パネルディスカッション
実は、先日、あるパネルディスカッションでコーディネーターをしました。
パネラーの方の意見に、すぐに会場から手が上がりました。
私は、「もう少し、待ってください」と言って、その人の発言を止めました。
そして、しばらくしてから、先ほどの方に再度、質問を振りました。
でも、その人は「私は無視されたから、もう、いいです」と言われ、質問することを断られました。
私は、舞台の上から、「すみませんでした。どうぞ、質問をお願いします・・・」
と2、3回、質問を促しました・・・・。
会場は、静まりかえりました・・・。
そのしぶとさに負けたのか、ついに質問をされました。
質問内容は、簡単なことでしたが、とても大切なことでした。
思わず、その質問の返答が終わったとき、 「非常に、大切ないい質問でしたね」と付け加えました。
そして、パネルディスカッションが終わりました。
すると、先ほどの質問者が来られました。
「意地になり、すみませんでした。」 と謝られました。
その言葉に、「いえ、私の方こそ、質問を遮ってしまってすみませんでした」と謝りました・・・・。
そして、「良い質問で、みんなが役にたちました・・・」と言いました。
すると、「本当にすみませんでした・・・」と言われました・・・。
このとき、いつの間にか、私自身が今回のパネルディスカッションを「形」にあてはめてしまったことを悔いいました。
その人の思いを大切にすべきだと・・・。
でも、最後は分かり合えました・・・。
これから、気を付けたいことの一つです。
「その人の思いを大切に」
今日は、4月から練習してきたボールルームダンスの発表会でした。 ワルツとルンバ・・・。
わずか3分ずつですが、楽しく踊れました。
また、終わってからのみんなでの打ち上げもよかった・・・。
一生、大切にしたい趣味が出来ました・・・・。 8月21日 アイスブレイク今月始め、ある府県の普及職員協議会の総会が開かれ、基調講演を頼まれて出席しました。
内容は「コーディネート機能と普及活動」ということで、事例として集落営農の進め方を取り上げてお話をしました。
これは、「3月の普及学会で発表された内容をもう一度、私達の府県でしてもらえませんか?」との要請でした。
時間は、1時間30分でした。
私は3月にも同じ話を話しましたし、
講演自身は、全国を回っているので、あまり深く考えていませんでした。
しかし、時間が経つにつれて、あまり関心のない方が少しおられるのに気がつきました。
そこで、詳しく話していると、時間切れ・・・。
後味が悪い感じでした・・・。
正直言って、私の話は最初は、現状のデーターの羅列ですから、あまりピントきません。
しかし、後半は、現場でのお話ですから、多く集落リーダーや関係者の方は興味を示されます・・・。
それは多分、私の話の内容と聞く人の「聞きたいこと」が重なっているからだと思います。
今回は、普及員さんが対象でした。
国の普及員研修や各県での普及員の研修でもお話をします。
その場合は、最初から目的があって聞かれています。
今回は、多分、目的が少しあっていない部分もあったかも知れません。
それともう一つ大切なことを忘れていました。
それは、「アイスブレイク」です。
お話を始める前に、会場の雰囲気を和らげることを忘れていました。
どうも、私への講師紹介が丁寧過ぎるのと、会場がよすぎることもあり、
私自身が硬くなり、すぐに本論に入っていました。
そういったことを反省し、今、県下5ヶ所で行っている集落リーダーブロック研修会では、
最初に日頃のお礼。
次に、今日の会場の雰囲気。
そして、今日の参加者の方が聞きたいことを手をあげていただいて聞き取り。
そして、今日の話の目的と内容説明・・・。
そして、内容。
最後に、ふり返り・・・。
そうしています。
「聞く人の立場でお話をする」
最も基本ですね。
事前の準備が大切です・・・。
今日も草刈り・・・。
すごく暑い中で、汗がいっぱいでます。
体脂肪計で測ると、私の年齢より4歳若く出ました。
仕事と思わず、体力づくり・・・と思えば、楽しいですね。
高校野球の決勝が再試合になりましたが、
駒大苫小牧の監督は「もう一試合できるという喜びができました」と
言われていました。
そう、前向きな姿勢ですね。
感謝・・。
4月13日 あるチーフの後悔これは、失敗事例と言えるかどうかわかりませんが、事例として取り上げてみます。
丹波地方のK普及センターでは、昨年、関係機関と一体になり、500集落近い集落の意向調査を行いました。
そして、それらの結果を集計し、集計した結果を「普及センターだより」などで、広く情報提供するとともに、一覧表に整理し、その表をもとに、毎月、関係機関が一体となり取り組んでいきました。
その取り組みは、アンケート集計の中で、「今後、考えていきたい」と答えられた集落に対して、二次調査として、集落代表と面談し、これからどのようにしていくのかをまとめて行かれました。
次に、「入門講座」として、希望のある個々の集落へ入り、集落営農について説明を行いました。
そして、集落で推進組織を立ち上げ、個々の集落で20歳以上に全員アンケートが行われました。
昨年度は、ここまで進んだようです。
この集落数が25集落ほどでしょうか・・・・。
私は、その活動を聞いたときに「モデル集落のリーダーの方々で推進組織をつくって、相互の活動を聞く中から、気が付いて、自ら動くようになることが多いのでは?」、
「ひとつひとつ入っていると、なかなか進まないし、最後には依存されてしまわないですか?」
と聞きました。
帰ってきた返事は、「はい。昨年、チーフとしてやられていた方が転勤するとき、個々バラバラに集落に入ったことだけが悔やまられていました。」、「時間がかかるんです」などでした。
今、スピード感が求められています。
このK普及センターのように、多くの集落毎に入って、マンツーマンで指導する方法が一見、早いようです。
しかし、一堂に会して、同時にスタートするとか、途中で動き始めた集落相互が集まって意見交換しあう中から、刺激を受け、自らが主体となって動くような仕掛けが必要だと思います。
そのことを言うと、「確かにそう思います」と返事が返ってきました。
はじめて、集落に入り、集落に考えていただき、ビジョンを作る経験は、やはり、モデル集落を設け、モデル集落のリーダーを集めて、推進会議を開き、定期的に情報交換する体制がいいですね。
また、集落の相談に応えられる力が付いてきてから、個々に集落に入る方がいいのではないかと思います。
「教えているようで、教えられている」
推進会議の役割は、集落で集落営農をすすめることと、関係機関の指導力をつけることと、みんなの集落営農に対する意識が高まることなど、いろいろな目的がありますね。
教えているようで、一番、教えられているのは、「自分だ」と思うときがたびたびあります。いつまでたっても、勉強です。 4月3日 集落営農の失敗事例 6の2(アンケート)今日は、報告書とりまとめ・・・。
暖かくなってきました。
家の納屋には、いつの間にかツバメが飛んできています。
これから、夏まで愛車をツバメの糞から守らないといけない季節に入ります・・・。
さて、昨日の続きです。
「アンケート集計はみんなでしてください・・・」と言って、若いメンバーの方と気まずい関係になっていましたが、それでも彼は出てきて、一緒に集計をされていました。
それから、若い人の世代別座談会の進行もされました。
しかし、若い人の意見はかなり消極的でした。
あまりに荒廃田が出てきていることと、担い手がいない現状の中で、「営農組合を作っても、私らが担い手になるなら無理や」といった意見が多く出てきました。
この集落の前に取り組んだ集落は、若者が「これから、我々もがんばる」と言われたのです。
そして、その声に対して、年輩者が「その気持ちがわかっただけでありがたい。お前らが勤められる間は、勤めておいてくれ。わしらができなくなったとき、頼むで」と互いに前向きな話し合いができました。
しかし、条件が悪く、年輩者も担えず、荒廃がかなり進み始めたところで営農組合を若者が中心になって結成するのは難しいと思いました。
どうなるのかな?と思った時でした。
推進員の若者は、「営農組合が結成できなくても、お寺の下の荒れている4枚の田んぼに、コスモスだけでもみんなで播こう」と呼びかけられました。
それからしばらくして、この若者から「所有者のおばあちゃんから、地代は要らないけど、一定期間、コスモスを播くのなら、契約書みたいなものが欲しいと言われた。」と相談に来られました。
私は、「じゃ、一緒に文面を考えましょう。」と言って、コスモスが咲き終わったら、元のように耕起して返却する。毎年、契約する。といった文面を作成しました。
帰られてから数日後、その若者から「土地、借りられました」と電話がありました。
そして、7月の暑い日曜日、むらの人みんなでコスモスの種を播きました。
本当に小さな種を少しだけ播く作業・・・私もはじめてでしたが、一緒に取り組みました。
そして、秋、見事にコスモスが咲き、コスモス祭りと写真大会が行われました。
もちろん、このH集落から電話がかかってきました。
「Mさん、是非来てください」
私が行くと、あの若者が缶ビールを差し出し、「みんなでアンケート集計する大切さ、よくわかりました」と言ってもらえました。
紙コップの底に一口だけのビールでしたが、本当においしく感じました。
それからは、全モデル集落のリーダーが集まる最初の市の推進会議での説明会では、「アンケートは必ず、推進委員さんでしてください」とお願いしています。
ある集落の全員アンケートに書かれていた一文 (30代の女性が書かれていました)
4月2日 集落営農の失敗事例 6今日は、苗代の代掻き・・・。
今日、家のあちらこちらが痛んできたので、大工さんに見に来ていただきました。
痛んだひさしを修理する話になったときでした。
大工さんは、「この家は古いので、ひさしがすごく長いですやろ。これは、かど干し(秋、庭で籾などを干して乾燥させる)しているとき、夕立などで急に雨が降り始めると、一時的になおす場所だったんです。また、天気の悪い日などは、この下で仕事もされてたんです・・・」と言われました。
ひさしひとつをとっても、居住と農作業を兼ねてたんですね。
「失敗事例、いいですね・・・」と読まれた方から、そんな言葉をいただき、続編を書き始めましたが、なかなか、難しいですね。
多分、昔の辛かったことを忘れ、いいことばかりが思い出になっているのかも知れません。
第6話です。
S普及センターにいたとき、H集落を対象に入ることになりました。
農会長さんが集落の窓口で、市、JA、普及センターの市の推進体制も出来上がっていました。
まず、集落の農会長さんに推進組織の立ち上げを依頼しました。
そして、農会長をリーダーに、若者代表、女性代表、高齢者代表、集落役員代表と8名の集落推進組織が結成されました。
次に、この推進組織に集落全員へのアンケートを依頼しました。
そして、アンケートのたたき台をもとに、集落独自で調査することが付け加わりました。
この集落の推進組織のメンバーは常に前向きで、時間前にはいつも全員が集合されていました。
アンケートの内容の検討も熱心にされ、それぞれがどの家のアンケートを回収するか・・・なども自主的に決まっていきました。
そして、回収後、どうするか?といったことが検討事項に上がってきました。
そのとき、一番若いメンバー(学校の先生)が、「アンケートが集まったら、僕が集計します。パソコンですると簡単だから・・・」と言われました。
すると、メンバーみんなが「申し訳ないなあ・・・。そうしてもらえたら、ありがたい。」と言われました。
私は黙って聞いていました。(いつも、あまり話さないようにしています・・・)
しかし、このときだけは、「あのう、申し訳ないのですが、アンケートの集計はみんなでやっていただけませんか?」とお願いしました。
すると、先ほどの若いメンバーの方が、「みんなでするとなると、また、集まらないといけない。少しでも、集まる回数が少ない方がいいと思う」と不機嫌そうに言われました。
そして、最後に「何度も、なぜ集まらないといけないのか!僕らは忙しいのに。」と明らかに不機嫌でした。
私は、あのまま、何も言わない方が良かったのではなかったかと、帰りの車の中で考え込んでしまいました。
それから、一ヶ月後、H集落でアンケート集計が行われました。
二人一組になり、年代別に集計が進みました。
集計が進むにつれて、メンバーの間に和やかな空気が漂い始めました。
集計のデーターを読み間違える人。
データーを書き間違える人。
書かれている意見に驚く人。
笑いと驚きの声。
冗談や雑談も聞こえています。
いつの間にか、これまでの上からおしつけられている「推進組織」といった硬い感じから、「集落の明日を考えていこう」といった自主的な集まり・・・に近づいていました。
まず、アンケートを取ることとアンケートの集計は、推進組織の最初の大きな仕事だったのと、与えられる仕事ではなく、我々の仕事へと転換することだったのです。
若いメンバーも集計しながら、参加されていました。
続きは、また、明日。
「気づきと感動」
「失敗のない人間は、おもしろくない」
(小泉首相)
明日から新年度。
がんばろう!
4月1日 集落営農の失敗事例 5(整理)今日は、事務整理と所内整理・・・。
毎年のことですが年度末となると、ロッカーの中の文書整理や廃棄、机上の整理や机の入れ替えと慌ただしくなります。
また、転勤される方や退職される方のご挨拶など、まさに「職場のお正月」と言えるほど慌ただしくなります。
私も机の移動が決まり、回りの整理が必要になってきました。
積まれた書類をもう一度見直しながら、廃棄するものとロッカーに入れていくものに分けていきます。
すると、これまでほとんど目を通さなかったものや、新たに目をとおして再度読み直すものが出てきます。
しかし、大半はほとんど使わなかったものばかりです。
集落の課題もそうかもしれませんね。
よく見てみると、いろいろな課題があります。
農業のこともあれば、集落内の道路のことやため池の管理のこと。また、お寺や神社のことから春祭りや学校のこと・・・。
数え上げればきりがありません。
今から30年ほど前、普及センターが取り組んでいた「新しいむらづくり」は、モデル集落を決め、その集落へプロジェクトチームを作って3~4年がかりで入っていくといった、大きな取り組みをしていました。
そして、取り組み内容もお葬式やお祭りと言ったむらのしきたりや行事の見直しから、新しい作物や技術の導入や生活の改善など幅広いものがありました。
私がはじめて入ったN町のO集落でも、「集落点検マップ」をつくり、危ない場所にロードミラーの設置や立て札を立てたり、道路際に花壇を作ったりしていました。
特に、生活改善の手法と農業技術の普及が合わさっていたと思います。
しかし、あまり長いとうまくいっている集落は毎年、新たな取り組みが始まったり、成果が見えてきますが、最初からうまくいかなかった集落では、毎年、報告の時期になると困られていました。
また、成果も「農業生産が向上した」から、「危ない場所に立て札が立った」・・・など、本当の成果と呼べるのに怪しいものまで成果として報告されたり・・・。
そして、最後には、動きそうな(成果が出そうな)集落を対象にされたり・・・。
全てがそうではありませんが、中には、こんな集落もありました。
その結果、まわりの集落からは、「あの集落やからできた・・・」と見られ、地域への普及が弱いときもありました。
このころは、まだ若く、先輩の活動を横で見ているだけでしたが・・・・。
確かに、幅広く、そして、毎晩遅くまで集落の方々と話し合いを重ねながら、集落を変えていかれている先輩の姿を思い出します。
そうした中で、今取り組んでいる活動は、
①期間は2年間。(一年目にビジョンづくり、2年目に実践活動の支援)。
②普及センターが中心に据えることは、「農業」を中心にとらまえる。(いろいろな幅広いむらづくりからの脱却)。
③結成前の初期段階と結成後のステップアップに区分した活動・・・
といったように、かなり効率的、かつ、見える活動へと変わってきたのではないかと思います。
多分、このようなことを思うのも、先輩方の姿があったからだと思います。
いろいろなものを取り込まず、必要なものと、不必要なものに整理する。
そのことによって、取り組みが単純かつ明確となり、集落のリーダーの負担も減り、みんなに理解されやすくなっているのではないかと思います。
「必要なものと不必要なものの整理」
でも、なんでも整理してしまうと、人間としてのつきあいが薄くなりますよね。
何かひとつは、常につながりを持ちたいものですね。
そう、人への思いやりは整理できません。 3月29日 集落営農失敗事例 4の続き3今日は、県内のJA研修会でお話・・・。
今日、嬉しかったことがありました。
2月の始めに、県内のJA組合長さんなどの偉い方を対象とした研修会で、集落営農のお話をさせていただきました。
その時のことは、このブログでも紹介したと思います。
その時、お話を聞かれたあるJAの偉い方が、「是非、うちの幹部職員に聞かせたい・・・」とお話があり、今日、行かせていただきました。
参加者は、150名。
なんと、このJAは合併時、支店だけで120支店を越えていたとのことで、現在、90支店へと減らされているようです。
その全支店長と営農センター所長、部長など幹部役職員が対象でした。
この方々の前で、私は「農家の方が本当に困られたら、市町村や普及センターには相談にはいかれません。きっと、農協の支所長さんのところに行かれることが多いと思います。」、「これからの農業を、みんなで考えていただく、ひっくり返し役になっていただけませんか?」などを最後にお願いしました・・・。
閉会の挨拶の中で、「私達の農協は、これから地域の担い手づくりに取り組んでいきます」とはっきり言われたことが、嬉しく思いました。
人の心を変えることはできませんが、少しは人に影響を与えることが、また、ひとつ、できたようです。
さて、昨日の話の続きです。
JAの部長は、「モデル集落6集落に対してビジョンづくりのために5万円ずつ補助することは難しい」と言われました。
確かに、近年、JAは生産資材や農産物販売の低迷、競争の激化。また、金融や共済事業の低迷など、取り巻く環境は厳しいものがあります。
JAの部長が言われるように、30万円の収益を得ようとすると、かなりの売り上げをしていく必要があります・・・。
その時、私はある県のJA中央会の方が書かれていた記事の切り抜きを持ち、組合長さんと部長さんに会いに行きました。
その切り抜きに書かれていたのは、「今、JAの営農指導員は、これまでのような、売れる農産物が少なくなり、栽培技術指導ができずに自信をなくしている。しかし、一方で、地域の農業を組合員とともに考え、地域農業の指導を行っている営農指導員は、輝いている・・・」といった内容の記事でした。
この記事を渡し、「私達普及員や市町村の職員は、5年で変わっていきます。しかし、営農指導員さんは、いつも地域におられます。これからは、地域を指導できる営農指導員さんが必要です」、「集落でこれからの農業を考えるとき、最初から一緒に取り組まれていると、資材を買おうと思ったときや出来上がった農産物を販売しようと思った時には、必ず相談がJAに来ると思います」
等のことを話しました。
(今から思うと、よく言ったと思いますが・・・・)
私は、JAのことはわかりませんが、ただ、JAの営農指導員さんと一緒に入り、営農組織を立ち上げた集落は、その後もJAがたえず指導され、JAと連携した活動が続いていました。
その一方で、JAが最初から集落に入らず、集落独自に結成された営農組織は、ほとんどJAとは関係がなくなっているところが多くありました。
このことをお話ししたのです。
多分、資材などの価格面や金融面では、メーカー等に比べると厳しいと思います。
それだけに、より普段からの、こういったつながりが求められると思います。
また、営農組織も、実際には農協と連携しながらも独自性を持っている組織はしっかりしているといったこともありました。(展示ほの設置や新しい技術の紹介など・・・)
これらのことを話したときでした。
組合長は一言、「わかった」と言われました。
そして、モデル集落のリーダー、町、農協、普及センターの担当者が一丸となり、取り組みが始まりました。
また、そうやって取り組んで、営農組織ができあがった集落では、JAの営農指導員がいつも気兼ねなく立ち寄られていました。そして、互いに相談や指導もされていました。
「最初から、かかわる」
このことが大切なポイントだったのです。
このようにJAの幹部と話が出きる・・・・それは、普段の仕事の中で、たえず「give and Take」で活動し、互いが信頼できる関係を常に築いて来られているからだと思います。
これから、集落営農を一番推進していく方は、営農指導員さんかもしれませんね。
このときのJAの部長さんは、今、新しいJAの組合長になられています。
今でも、昔話をしたり、気安く話が出きるいい組合長さんです。
3月28日 集落営農の失敗事例 4の続き2今日は、果樹事業関係の連絡会・・。
今日、嬉しかったことは、普及学会賞をいただいたことをすでに知っておられ、相手から先に「おめでとうございます」と言われたことでした。
あまり、他の人には言っていなかっただけに嬉しく思いました・・・・。
そして、思いました。
「がんばらないと!」
昨日の続きです。
3カ所目の普及センターで町担当になり、集落営農推進のチーフとなって最初に始めたことは、関係機関との連絡会の充実でした。
幸い、町の課長補佐が理解者で、「まず、毎月定期的に連絡会を開こう」、「なんでも、協議事項に出していこう」といったことを言っていただき、毎月定期的に開催することができました。
そして、この連絡会で県事業である「地域農業システム化事業」を説明し、その事業に基づき、今後の集落ビジョンを、モデル集落を設定して、取り組んでいくことを提案しました。
一年目は、モデル集落の選定。
モデル集落と関係機関によるS町推進会議を中心とした各集落毎のビジョンづくり・・・とうまく進みました。
ところが、2年目になり、町の課長さん自らが集落に入り、集落でこれからの農業のビジョンを作る中で、この事業の重要性を理解されてきました。
そして、この連絡会で「これほど、集落の役員さんが一生懸命に集落のこれからの農業を考えられるなら、せめてお茶菓子代や視察に行く、マイクロバスの補助をしたいと思うがどうか?」と毎月開かれる関係機関の連絡会で言われました。
さらに、「町と農協と集落で5万円づつ出して、総事業15万円の事業にすればどうだろう」と提案されました。
このとき取り組んでいた県事業は、私達の普及センターが行っている「地域農業システム化事業」でした。
ところが、この事業は集落に出るお金はまったくありませんでした。
しかし、私達の事業や取り組みの重要性を自ら感じられ、なんとか支援しようと、不足部分を町と農協と集落で補おうという考えだったのです。
つまり、私達の普及センターの取り組んでいる「地域農業システム化事業」を支援する「地域農業システム化支援事業」を町単独事業で創設されたのです。
このとき、農協の部長はいい返事をされませんでした。
農協の部長は、「6モデル集落だと5万円ずつ補助すると、30万円必要になる。30万円というと、大変なお金です・・・。それだけ、売り上げで利益を得ようとすると・・・・・・」
この声を聞いたとき、私は無理だな・・・と思いました。
しかし、その後、農協の部長と組合長さんに出会いに行きました。
この続きは、明日です。
27日の心の日めくり
「誇り」
得か損かで判断をするのではなく
正しいか正しくないかで
判断のできる人間でありたい
(小薮実英)
なかなかできないですね。
多分、お釈迦様のものさしがひつようなんでしょうね。
でも、がんばろう。 3月27日 集落営農の失敗事例 4の続き今日は、苗代の耕起・・・。
「失敗事例の4」で書いたことは、集落だけをとらえると、うまくいった事例だと思います。
しかし、問題は集落だけをとらえたこと。
多分、私達の活動の中でよくあることだと思います。
モデル集落、重点集落といいながら、その集落に入っていくのですが、その集落だけが変わって、他に波及していないことが多いと思います。
どこに問題があるのでしょうか?
それは、問題のとらまえ方が浅いからでしょうか?
全体に波及させるには、大きすぎるからでしょうか?
多分、いろいろな原因があると思います。
一番、大きな問題は、それを問題と思わないことかもしれませんね・・・。
最初に取り組んだN普及所では、関係機関で推進会議を開き、情報交換を進めながらモデル集落に入っていきました。
そして、N市のK集落では、市の課長や農協の部長と一緒に展示圃で麦も播き、小麦の面積も40haを越えました。
しかし、次に赴任したM普及所では、地域指導より技術指導が中心の普及所でした。
そのため、地域指導も、普及員個々の取り組みでした。
ですから、集落を動かすことが目標となりました。
大切なことは、取り組む前に、地域を変えていくといった大きなとらまえ方ができているかどうかだと思います。
個々で入ると、どうしても集落リーダーの意向に左右され、いつの間にかご機嫌取りになっている場合もあります。
しかし、モデル集落のリーダーが集まり、推進会議を開くと、集落リーダー相互が気づき、学び、内面からかわり、発展していきます。
つまり、普及センターで普及員の活動を取りまとめるチーフ役の方の考え方ひとつで、集落営農の推進は大きく変わると思います。
この部分をどう変えていくかが、ひとつのポイントだと思います。
この2カ所の普及所で学んだことから、3カ所目のS普及センターでは、まず、普及センターの中で推進体制をつくり、次に関係機関と推進体制を作りました。
そして、6モデル集落のリーダーも入っていただき、なぜ、モデル集落を設けて取り組むのかを議論する・・・そんなことから始めました。
しかし、実際はJAの参加意識が弱かった。
当時、JAは「集落営農を進めると、米が逃げる」といった考え方がありました。
しかし、JAが参加されずに進めるわけにはいきません。
そこで、怒られるのを覚悟でJAの幹部に直接会いに行きました。
この続きは、明日・・・。
「目的と手段を明確に」
26日の「心の日めくり」
「逆境」
寂しさは ものの真実を見抜く力
悲しさは 人のやさしさを 知る力
苦しさは 自分を強くする力
逆境の中で
人は成長し
逆境の中で
人生は深まっていく
(小薮実英)
がんばらないと・・・。
3月26日 集落営農の失敗事例 4今日は、種籾の調製と倉庫の整理・・・。
今日、感じたことは・・・。
春ですね。
誰かが、「春が来ない冬はない」と言ってたけど、寒い冬から、いつの間にか本当に春になっていますね。
たんぼの畦には、つくしが芽を出し、山には鶯が鳴いています。
吹く風は、少し暖かく、日差しはきつくなってきましたね。
子供が「つくしが出ている・・・」と話している声が聞こえました。
今日は、失敗事例の4です。
私はN普及所に8年いました。その時に、むらづくりに入ったのはO集落だけでした。
次に、昭和61年にM普及所に転勤になりました。
この普及センターでは、県下最大級の果樹園の国営開発が始まっており、果樹特技普及員として仕事をしていました。
しかし、県事業で、3年継続のむらづくり事業も行われており、最重点課題だったため、私も3年目のH集落を受け持ちました。
この集落では、市役所の農林課を退職されたTさんがおられました。
このTさんにいろいろと助けていただき、7名の有志で田植機を導入することになりました。
当時は、施肥田植機は農業改良資金の対象で、5年の無利子で6条植の田植機を導入することになりました。
Tさんから、10aあたりの使用料金を考えて欲しいと言われ、農機具の経営試算をしました。(このことも勉強になりました)
そして、夜、公民館で10aあたりの使用料金を明示し、承諾を得ました。
また、このとき、田植機の使用日も決められました。
驚いたのは、土、日曜日に田植機があきました。
理由を聞くと、「平日の方が、ゆっくり植えられる」、「平日が休みや」など・・・。
よく、機械の共同利用というと、「自分の好きなときに使えない」と言われますが、それは嘘でした。
また、田植え状況を見に行くと、若夫婦が田植えをされていました。
聞いてみると、「乗用のこんないい田植機なら、私達が使える」とのこと。
多分、以前の田植機なら、お父さん夫婦で四苦八苦されていたことでしょう。
さらに、会員以外にも田植えに行かれ、年間のそれぞれのメンバーの負担金は3~4万円でした。
田植え後のさなぶり(懇親会)では、7人のメンバーが揃い、「他の集落からは、小遣いで買ったとうらやましがられた・・」などの声が聞かれました。
いまでも、この組織は続いていると聞いています。
??
どこが失敗事例なのでしょうか?
実は、このとき4集落で取り組みました。
しかし、4集落のリーダーが集まり、合同で研修会を行ったのは、視察研修だけでした。
その時に、4集落のリーダーや市、農協の担当者が出会い、一緒に視察にいくだけでした。
つまり、普及センターの事業であり、普及センターが4集落に重点に入り、4集落だけが動いた・・・。
市や地域の農業構造を変えるというより、4集落の取り組みを変える。
それが目標になってしまっていました。
その結果、波及効果はあまり、ありませんでした。
多分、関係機関や他集落からは「あの集落やから、できた・・・」と思われていたのかもしれません。
むらづくりや集落営農とは何か?
なぜ、普及センターが入り、集落で農機具の共同利用や農作業の受委託を進めるのか・・・。
そのことがはっきりと、わかっていませんでした。
つまり、
①事業だから、少し動きがある対象集落に入る。
②集落でなんとかやれることは、有志で農機具を共同利用すること。
③それを、なんとか成功させる。
④普及センターの成果としてまとめ、報告する・・・。
そのことが、自分でできる精一杯のことだったように思います。
あの頃は、それでよかったと思います。
しかし、今から反省すると、
①関係機関に問題意識を持ってもらう
②モデル集落を設け、その中の一つとしてH集落に入る。
③H集落のこれからの農業をみんなで考える推進組織を作る。
④推進組織を中心に、みんなで取り組めることとして、機械の共同利用組織を結成する。
⑤活動を実践できるように支援する。
⑥活動をまとめる。
⑦活動成果を、広く他集落にもPRし、同じような取り組みを考えている集落に紹介する・・・。
そういった展開ができていなかったように思います。
ただ、このときの取り組みで、有志による機械の共同利用組織づくりの自信がつき、次の普及センターでは、この経験を生かすことができました。
「集落営農とは、これからの農業をみんなで考えること」
25日の「心の日めくり」
うわべの輝きではなく
内からの輝きで
生きていたい
雨の日の
あじさいの
ように
(小薮実英)
昨日のチャングムで印象に残った言葉
「毅然としつつ、融通を持つ。そして、少しの余裕と」
(チェゴサングン) 3月23日 集落営農の失敗事例 3今日は、くりの冷蔵調査・・・。
今日、よかったことは・・・。
久しぶりに、夜、家族で食事をしてテレビを見ました。
本当に久しぶりでした・・・・。
みんなでテレビを見ながら、一緒に笑える・・・。
いいですね。
最近は異動の時期です。
メールにも、異動の挨拶が多くなりました。そして、必ず書かれているのが、「健康に留意を・・・」。
自分でもわかっているのですが、多くの仕事や原稿を引き受け、首が回りません(本当に、首の筋が張っています)。
さて、三つ目の失敗事例です。
昨日、「これまで2度、帰れと言われた」と書きましたが、そのうちのもう一回を書きます。
今から10年ほど前の話です。
SA町のS集落には、S生産組合がありました。
このS生産組合のT組合長は、SA町の生産組合協議会のリーダー研修会に出席されました。
そして、私の話を聞かれて、普及センターに来られ、「うちは、転作の機械の共同利用だけですが、これからは、集落の農業も担えるような生産組合にしたいと思うので、来て話してもらえませんか?」と頼まれました。
そこで、私は「集落の総代さんと農会長(農事組合長)にまず、声をかけていただけませんか?」とお願いし、夜、公民館に行きました。
そして、総代さんと農会長さんに今の農業やこれからの農業の話をしているときでした。
総代さんが「今夜は、そんな話のために私を呼んだのか?」、「そんな話、ここでしてもあかんで」と怒り始められました。
T組合長は、昨年、都市部から帰ってこられ、今年はじめて生産組合長をされた、まだ経験の浅い、若い方でした。
一方、総代さんや農会長さんは、専業農家でかなり熟年です。
きっと、T組合長のとられた行動にも少し怒りがあったと思います。
それで、私とT組合長は、途中で話をやめ、帰りました。
それから、後日、総代さんの家に行きましたが、「これからも個々で農業をやったらいい」で終わってしまい、前に進みませんでした。
そして、一番の理解者であり、行動に移そうと努力されたT組合長は、このS集落から出て、町に行かれました・・・(塾の先生をされているとか)。
このとき、感じたことは、
集落営農を推進するには、まず、関係機関が一体になり、最初から計画的に、組織的に取り組むことが必要だと感じました。
(たとえば、S町で毎年、6集落を対象に5年間で30集落に取り組み、集落のビジョンづくりを行うことを明確にする。)
次に、それぞれの集落で、それに参加するか、しないかを手挙げ方式で自ら手を挙げていただく。
(もし、ビジョンづくりの目的ややり方がわからない場合は、関係機関で説明に行く。)
そして、最初は「事業」として取り組みながら、次第に「事業」ではなく、自分たちのこととして取り組見始めるように指導する。
(魂を入れる)
こういった流れが必要だと思いました。
いくら、集落リーダー研修会で、一人の集落リーダーが気づき、動こうとしても、事業も何も無しにすすめることは、強いリーダーシップと、よほどの周囲の理解がないと難しいなと思いました。
最初は「事業」という助け船で、集落の役員さんを理解させる。
そのことが、動かし易いポイントかな・・・と思ったのです。
それと、私一人で行ったのがいけなかったと思いました。
せめて、町かJAの担当者と伺うべきだと思いました。
やはり、総代さんや農会長さんは、町やJAが関係しているとなると、無視できないと思いました・・・。
まず、関係機関がスクラムを組み、事業として展開していくことが必要だと反省しました。
いまでも、あの真面目なTさんの姿が浮かびます・・・。そして、むらから出て行かれた悔しさを思います・・・。
「一生勉強 一生青春」
(相田みつお)
「人は、年をとると人間が丸くなるというのは、間違いです。年をとっても丸くない人がたくさんいます。年をとって丸いひとは、絶えず、努力しているからです。」
と言われた人がいました。
私は、この失敗を二度としてはいけないと思っています。
大切なTさんを、むらから追い出すようなことをしてはいけないと思っています。
そのためにも、常に勉強と努力と、強い信念をもっていきたいと思います。
集落営農の失敗事例 2今日は、東京で会議と打ち合わせ・・・。
今日、感じたことは、集落営農の推進については、これまでの普及の経験、アプローチ、実績は大きく、それらを、今、もう一度整理し、多くの人達が現場で用いられるようにしていくことが、緊急的な課題であるということを、強く感じました。
そして、今日、良かったことは、先月から行われていた海外の普及研修生の研修評価で、最も人気が高かったと教えられたことです。
特に、普及員の情熱の大切さと「地域や人を動かすのはお金ではなく、人に気づかせ、自ら取り組ませる普及事業が大切」といったことに気づかれたことがうれしく思いました。
どうやれば、効果的な研修ができるか考えていただけに、嬉しい結果となりました。
そういった中で、失敗事例の2つ目を・・・。
実は、先週末に呼ばれた営農組合のことです。
この集落は、集落リーダーからの要望もあり、平成10年~11年の普及センターの重点地区でした。
平均耕作面積はやや大きく、中山間部で高齢化も進んでいました。
モデル集落を対象としたS町の集落営農推進会議に、地区のA総代さんと農会長(実践組合長)に出席いただき、次は集落で役員さんを対象に説明会を開くことになりました。
私は、一人で夜、公民館に行きました。
そして、むらづくり(集落営農)の話をしているときでした、「もう、あんたの話はわかった。そろそろ、帰ってもらったら・・・」とある役員さんから言われました。
まだ、話の途中でしたので、どうしようかと迷いましたが、仕方なく帰りました。
帰りながら、車の中で「なぜ、帰らされたんだろう・・・」と思いました。
少し日をおいて、A総代さんの所へ先日のことを聞きに寄りました。
A総代さんは「あのNさんは、昔、学校の先生をされていて、立派な方です。息子さんは、家を出られて、もう、帰ってこられないでしょう・・。Nさんは、これまでから、普及員さんと同じようなことを言われてきたが、だれもその話にのってこられなかったんです。ある意味では、理解者だったんです」と言われました。
それから、勇気を出してNさんを訪ねました。
Nさんは、自分の考え方やこれからのむらの農業についていろいろと話されました。
それを聞きながら、二人で話し合いました。
すると、課題や目標のとらまえ方が同じでした。
ただ、「これまでやってきて無理だったから・・・。」
が本音だったようです。
その後、集落の推進委員会に入っていただき、集落のサブリーダーとして参加されました。
また、いつも集落の会議では顔を合わすようになりました。
そして、設立総会のあとの懇親会で、酒をくみに来られて、「あの時は、悪かったなあ・・・」と謝られました。
先週末の研修会にも来られていました。
もう、かなり高齢になられていますが、先週末も目が合うと、ニッコリと笑顔が出ました。
この生産組合は、活動は地味ですが、立派な活動を多く展開されています。
私は、これまで、2度、集落から「帰ってくれ」と言われました。
そんなときほど、その理由を確かめたくなります。
話の合わないときほど、自分のためになるような気がします。
そして、逃げずに、まず、出会い、話を聞くことが大切だと思います。
「そのとき どう動く」(相田みつお)
22日の心の日めくり
「他人の飯」
暖かい部屋にばかりいると
そのありがた味がわからない
外の寒さを知って
はじめて
そのありがた味が
わかる
(小薮実英)
今日、会議までの時間、相田みつお美術館に行き、心の整理をしてきました。
ここで感じることは多くあります。
少し、心の整理ができました。
感動する文と出会ったときには、立ちつくし、目頭が熱くなります。
私と同じように、立ちつくし、目頭を押さえられている人・・・その気持ちがよくわかります。
感動・・・その心を持ち続けることが青春ですね。
常にこころに青春を。 3月21日 集落営農の失敗事例1今日は、連絡会議とある果樹団地で研修会・・・。
今日、新たにももを新植した団地で、摘果作業のビデオを見ていただいているときでした。
みんな退屈そうに見られていたのですが、突然、作業中の男性が、三脚から落ちるところがありました。
そのビデオを見ていた人から、「わー」と声が出ました。
そして、「脚立は危ないな・・・」といった声が出ました。
人を動かすのは、外からの力では動かない。
人は自分の内側からの力で動くと言われます。
この前、K県の普及員さんの研修の時、「成功事例はよくわかりました。失敗事例を教えていただけませんか?」といった質問がありました。
急に言われて困りました。そして、3つほどの事例を言いました。
そうですね。
人は、自慢話なんて聞きたくない。
失敗した話や、今日のような危ない話の方がよく聞かれるのでしょうね。
やっと、全国所長会の7事例の紹介が終わったので、次はこれまでの失敗事例をまとめていきたいと思います。
これまで、何集落に入ったのかはわかりません。あるとき、55集落までは数えていましたが・・・。
まず、失敗事例1です。
私が、初めて町担当をさせていただいたのは、今から23年前の昭和58年でした。(年齢は26歳でした。)
そして、同時に、N町の4集落を対象としたむらづくり事業でO集落を担当しました。
このときが、むらづくり(集落営農)に初めて取り組んだ集落でした。
この集落は100戸以上ある、大きな集落でした。
生活担当の普及員さんと一緒に集落に入りました。
まず、農会長(実行組合長)さんに事業の説明をしてから、農会長さんを中心とした役員さんと女性グループの代表の方々でむらづくり組織を結成していただきました。
そして、その組織で全戸を対象としたアンケートを取っていただきました。
また、女性グループには「生活点検地図」と言うことで、みんなで集落を歩き、危ない場所や道路、自慢できる場所や改善するところをみんなで踏査し、公民館で地図に書き込んでいただきました。
男性の役員さんには、転作のブロックローテーションによる転作助成金の差が8万円以上出ることを研究していただき、集落ぐるみで転作する方法を考えていただいていました。
そんなある日の朝、突然、普及所にこのO集落の区長(自治会長)が、怒って入って来られました。
「普及所は、集落に入って何をしてるんや。最近、仕事がないのか!」、「ワシは、正月の初総会で、みんなに集落に対する希望を聞いて、それを改善している。なぜ、普及所が入ってきて集落の中の点検をするんや!」
すごいけんまくでした。
だれも、助けてもらえず、ただ、応接のソファーのところで「区長さんに連絡が遅くなり、申し訳けありません・・・。実は、こういう目的で・・・・」と説明しましたが、いっこうに受け入れてもらえず、最後には「うちの集落をかきまぜんといてくれ!」と大きな声で一喝され、帰られました。
大きな声で、まして、普及所の中で農家の方に怒られたのは、初めてでした・・・。
すごくショックでした。
農会長さんにつないでいたのが、区長さんまでつながっていなかった。
それに、普及所の中のみんなは知らん顔・・・。(あまりのけんまくで、近寄れなかったと思います)
それから、少ししてから、この区長さんの家に行きました。
区長さんは、土建屋さん(建設業)でした。
大きな家に入らせていただき、もう一度事業の目的を説明しました。
そして、了解を得る一方で、集落のむらづくり委員のメンバーにも入っていただきました。
また、4つのモデル集落のリーダー研修会にも出ていただくようにお願いしました。
この区長さんの意識が変わったのは、4集落のリーダー研修会に出ていただき、他の取り組みや先進事例を聞いていただいてからです。
その後、2年間、この集落に入り、この集落では集団転作が始まりました。また、私が出てから「虫送り」といった行事の復活やや集落に花壇も後々にできていきました。
ここで学んだことは、当然のことですが、むらづくり事業は集落の区長さんの了解を得ること。そして、区長さんにもリーダー研修会などに参加していただくと、集落全体が早く動くと言うことでした。
また、もう一方で、プロジェクトチームのチーフのあり方を学びました。
怒られた時、チーフは普及所におられませんでした。
(多分、おられたらすぐに説明に来られたでしょう)
そして、区長さんに怒られた話をすると、親身に心配していただき、すぐに区長さんの家に行くことや、リーダー研修会に参加してもらえるよう依頼することなどのアドバイスもいただきました。
また、リーダー研修会後は懇親会を計画し、私と区長さんが親しくなれる場も設けていただきました。
その結果、いつの間にか親しくなり、目的も充分理解していただけました。
このような行動を、チーフは私にさせ、むらづくり活動のあり方を気づかせてくださいました。
この最初の失敗が、後に活かされていきました。
「集落のリーダーには、直接動くリーダーと、リーダーを動かすリーダーがいる。両方のリーダーをとらまえることが大切」
いまでも、この集落のそばを通ると、懐かしく思います。
このときの活動は、すでに過去のものですが、今、新たなむらづくりが始まっているようです。
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